新大久保新宿職安通りでライブ後の女子会なら

2020/01/29 ブログ
ポキ新大久保新宿

こんにちはカリフォルニアンポキです。

本日は店休です!新大久保は皆様どんな印象ですか?私は約15年ぶりというくらい店舗に関わるまでは来ていませんでした、完全コリアンタウンですね有名ライブハウスに近い店舗ではライブ後の打ち上げやライブ途中の休憩所としてもよくご利用いただいてます、ゆっくりとしたおしゃれな空間と明るいスタッフがお客様をお待ちしております、、、ちょっと新大久保の歴史を

東京の副都心として高層ビルが立ち並び、日本屈指の大都市である新宿。世界各国から様々な人種が集まってきます。新宿区の外国人比率は12.48%(2019年5月1日現在)に達しており、大都市圏のなかでは最も高い割合です。

そのなかでも外国人が突出して多く暮らし、コリアンタウンとしてその名を広める新大久保という街。近年は日本の中高生や20代前半の女性に韓国カルチャーが人気を博し、チーズタッカルビなる料理が大ヒット。そんなこともあり2016年後半あたり、新大久保にはうら若き女性たちが押し寄せるようになり、2019年の今もその流れが続いています。しかし新大久保は韓国だけの街かといえば、決してそうではありません。町を見渡せば、韓国料理店や韓流アイドルのグッズのお店はもちろんのこと、中国語で書かれた看板や、ベトナムやタイ料理のお店のほか、イスラム横丁などもあり、多種多様な人種が暮らす街だといえます。戦後、新大久保に外国人が増えていったのはなぜ?

新大久保駅のそばでは戦後の1950年に、韓国人が創業したロッテの新宿工場が稼働を始めており、それが在日韓国人の増加にも影響したと考えられます。また隣の歌舞伎町では在日韓国人や台湾人などの「オールドタイマー」がビジネスを行っており、そうした人たちが住む場所でもあったようです。

その後1980年代後半になると留学生をはじめとする「ニューカマー」が増え、それに伴って日本語学校が増えるなど、多国籍化が進んでいきました。また、歌舞伎町で働く外国人たちに向けて食堂や美容室のほか、食材店なども営まれるようになります。今でも街を歩くと外国語だけの看板を見かけるのですが、そのような流れを受け継いでいるものだといえるでしょう。

工場や職安が近くにあったこともあり、ドヤ街が発達していたほか、長年営業する連れ込み旅館が今も残り、歌舞伎町の裏町という場所柄だけにラブホテル街があったりもします。

そして2003年の韓国ドラマブーム以降には、街とはもともと接点のなかった人たちも、「コリアンタウン」という新たな観光地としての新大久保にやってくるようになります。

『オオクボ 都市の力 多文化空間のダイナミズム』(学芸出版社、2008年)の著者、稲葉佳子氏はこのような街の歴史や変化を受け、大久保という街は「「移民」によって形成された「新開地」「植民地」であり、戦後も一貫して新住民を受け入れてきた(p.166)」と述べ、さらに「このような歴史的風土を有する」と述べています。この本によれば、明治・大正期に外国人が移り住んできたことはもちろん、江戸時代の鉄砲隊も移住者だといいます。(※上述の新大久保の歴史は同書を参考にしました)

この本は2008年に出版されたものではありますが、その後の10年にも通ずるところがあります。2011年の東日本大震災後に韓国人や中国人留学生が減少した街には、ベトナム人をはじめ東南アジアからの留学生がやってくるようになり、今や「コリアンタウン」と一口には言い難いほど、様々な国籍の外国人がこの町に移り住んでいる状況です。こうしたことは今後の新大久保にも当てはまるのではないかと推測できます。

いずれは韓国カルチャーの人気が下火になれば街の様相が変わるでしょうし、また異なる形で新住民がやってきて、街の姿が変化していくのではないでしょうか。実際にこの町は日々変わり続けており、新しい店が出来ては立ち消え、といった状況です。

次に2019年現在のエスニックタウンとしての新大久保の町を写真とともに見ていくことにします。

コリアンタウンと思われがちですが、

様々な国の人々が集まって暮らし、それぞれの商いが行われている場所だと言うことができますし、近年その傾向が顕著です。

新大久保という町には、江戸時代という昔から様々な人たちが移住してきて定着する人もいる一方グローバル化した現代では絶えまなく新しい要素が入り込み、日々変化している街だといえます。移民が増加しつつある日本の未来を占う上でも、今後もこの町の動向には目が離せません。さまざまな国のお店があるので旅行気分で新大久保に来るのもありですね、もちろんその際は職安通り沿いの当店へ

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